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昭和35年2月14日(バレンタインデー)
長崎県佐世保市に2男1女の長男として生まれる。
父が自衛隊勤務で全国規模の異動のため、
長崎・北海道・福岡と引越を繰り返し、転校が相次いだ。
小学校の頃は非常に目立ちたがりやで、
授業でもよく手を挙げる活発な少年だった。
中学生になってからは、人を目立たせるほうに回り、
生徒会長候補の応援役を引き受けたりした。
その頃出会った恩師が、本当によく子供達を信頼してくれる先生で、
どんなことがあっても自分達を信頼してくれる姿を見て感動。
それがきっかけとなり、人と関わる仕事、
人を信頼できる仕事がしたいと思うようになり、教職の道を目指す。
高校3年間を北九州の小倉南高校で学び、
その後、教師を目指し福岡教員養成所へ。
卒業後、教員採用試験に臨み、
父母の郷里である宮崎県の試験に見事合格。

昭和55年4月、初任地となる都城市の沖水小学校に赴任。
新米教師として悪戦苦闘の中、子供達との関わり合いを大切にし、
思い出深き3年間を過ごす。
その後、日之影町の大菅小学校に3年、高千穂町の高千穂小学校に6年、
日向市の日知屋東小学校に6年、そして北川町の北川小学校に5年と、
計23年間にわたって教師としてまた一人の人間として裸の心で子供と向き合い、
ともに泣き、ともに悩み、ともに取り組む中で解決した熱血漢である。
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教師生活23年、てつやが常に子供達と約束してきたことがある。
それが『人間らしい生き方を身につけよう』ということである。
「相手のことを心から考えよう」
「弱いものをかばおう」
「人の役に立つことをしよう」
そして「まずは、自分にできることをしよう」
これは、いじめ問題や様々な問題に直面し、
体を張って正面から真剣に取り組んできた、てつやの哲学である。
子供達の表情は即、家庭の状況を映し出す。
家庭の状況は即、社会の情勢を反映している。
戦後かつてない不景気の中、
家庭に不安のある子は、いつも不安そうな顔をしている。
ここに、今回、てつやが政治に挑戦した思いがある。
「子供達に笑顔を取り戻したい」
「その為には、この延岡を活気あふれる元気な街にしなくては・・・」
教師として子供達の一番近くにいた自分だからこそ、できることがある。
未来ある子供達が、夢と希望を持ち続けることのできる宮崎へ!
いま、てつやの新たな挑戦が始まる。
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